世界各地へ飛び火した抗議運動「Occupy Wall Street」が、何に対する誰の抗議運動なのかはその核心を掴むのが難しいですが、ある参加者がインタビューに対して、『僕らを支配してきた体制であったり、組織に対する運動』というような表現をしていました。ソーシャルメディア時代に促進された変化に、“組織や体制”と“個人”の関係性の変化というのも挙げられると思います。前回のブログで、ソーシャルメディア時代にはアーティスト自身も、レコード会社や事務所といった組織への所属、またはメジャーという枠組みへの参加といったことから脱却する時期が来ているということを書きました。
アーティストと“組織”の関係性が変わる中で、アーティスト自身は自らが“戦い方”を身につけていく必要があると思います。一方でプロダクションやレコード会社はどう変わっていくのでしょうか。また、アーティストがそういった組織を“戦い方”の一つとしてどう活用していくことが出来るのでしょうか。
1 プロダクションは戦略家集団へ
プロダクションという組織がこれまで果たしていた、“売り出すべきアーティスト”をプロモーションメニューにのせる「アジェンダ設定」的な機能の価値が、アーティストにとって薄れていく中で、プロダクションは今後、アーティストにとってのビジネスパートナーとなるべく、専門家であり戦略家の集団となっていくべきだと思います。
これまでプロダクションはアーティストを所属させ、アーティストに関する権利を保有することでビジネスを成立させていました。例え今“売れていない”アーティストに対しても、将来の稼ぎに対する投資として今の給料を保証するなどして “所属”という体制が維持されていました。
しかし、アーティストがプロダクションへの“所属”から脱却していくと、その関係性はより対等なものとなり、プロダクションはアーティストのビジネスパートナーとなっていくでしょう。これはLady Gagaのビジネスパートナーとして有名なTroy Carterの関係に近いイメージです。彼はデジタル領域での専門性を活かしてGagaのビジネスパートナーとして活躍しています。彼のように専門性をもって、アーティスト活動のサポートを行う人材こそがマネージャーであり、その集団としてプロダクションが存在するのではないかと思います。
今は、アーティストに対してはプロダクションの“サラリーマンマネージャー”が付くというのが日本の一般な姿です。しかし、この関係性は、欧米に見られるような、アーティストがマネージャーを雇うというスタイルに取って変わられるでしょう。マネージャーは所属事務所からあてがわれるものではなく、アーティストが自らの成功の為にビジネスパートナーとして雇うものとなります。
マネージャーをアーティストが雇うということは、裏を返せば、アーティストにある程度の収益が上がっていないとそもそもマネージャーを雇うことが出来ないということを意味します。もちろん、ボランティア的にマネージャー業をするスタッフもいるとは思いますが。収益の多いアーティストはブレインとして優秀なマネージャーを雇えるということになりますし、マネージャーからすれば、自分のバリューを高めないと誰にも雇ってもらえないし、逆にバリューを高めれば大物アーティストに雇ってもらい、高い報酬が得られる。両者にとってモチベーションが生まれやすいスタイルなのです。
アーティストには“所属”する意識から、自らのビジネスパートナーを“雇う”という意識の変換が求められますし、ビジネスとしての成功を得る為の高い“意識”と“戦い方”を持つことが不可欠になります。この変化は決してアーティストにとって優しいものではありませんが、政治力やその他の見えざるパワーに惑わされる事なく、本物のアーティストがどんどん世の中に出て行くチャンスでもあるのです。
2 レコード会社は明確なメッセージを持った小規模なレーベルへ
レコード会社は、アーティストにとって、パッケージCDを中心としたクリエイティブ面でのディレクション、そして権利周りの管理という部分で頼るべき組織でした。ただ、CDを前提としない時代に入った今、その存在意義はどこに見い出されていくのでしょう。価値として残るのは、より小規模な単位(レーベル)として持つ “信念”であり、発信する“メッセージ”だと思います。こんなアーティストを世の中に届けたいとか、そういった信念みたいなものこそが、最後に残り、また一番大切な価値となると感じます。
この点に関して、とても参考になり、また共感出来るブログがあるので引用させていただきます。ここではレーベルの一つの有り方として“ブランドレーベル”という言葉で説明がされています。
「○○レーベルならこういう感じだよね」という空気づくりを行い、そのレーベルのイメージを打ち出す(ことを通じて)そのレーベル内のアーティストなら間違いないといった (認識を生み出す。)
つまり、所属アーティストのカラーや楽曲はもちろん、ライブ、イベント、メディアでのコミュニケーション等々を通じて、レーベルという単位で“統一されたメッセージ”を発信することこそが、そのレーベル自体の存在意義となり、結果として所属アーティストの価値を上げるのです。
分かり易い例で言えば、一時期のavex traxではないでしょうか。90年代の“avex tarx”(世の中の認識ではavex traxイコールavexそのものだったと思いますが)というレーベルは、善くも悪くも“avex的”という認識を世の中に提供していたと思います。「avexってこんな感じ」であったり、「avexのアーティストってこんな感じ」という明確なイメージが共有されていたのです。前者は、テレビスポットを大々的に利用したプロモーション手法から形成されたイメージがあるでしょうし、後者はダンスミュージック、小室サウンド、歌姫といった要素から形成されたイメージがあるでしょう。
当然、レーベルに対して抱かれているイメージは、個別のアーティストに対しても大きな影響を及ぼしますが、ユーザーにとってはレーベルが“お墨付き”の役割となり、購買意欲をドライブさせるものなのとなります。
本来、アーティストがどこのレーベルに所属しているかというのは、多くのユーザーにとって価値のない情報ですし、レーベルから好きになるというのは一部のコアユーザーに限られていました。ただソーシャルメディア時代は、フラットな状態で様々な情報が溢れているので、自分が好きになるであろうアーティストや楽曲との出逢いがしずらくなっているのも一方で確かです。
コンテンツは、嗜好で繋がった人間関係(インタレストグラフ)を通じて共有がされていきます。場所や年代関係なく、オンライン上のインタレストグラフを通じてコンテンツが広がっていく、その伝播力は計り知れません。溢れるアーティスト•楽曲情報の中から、どこかの誰かがピックアップしたものが、インタレストグラフを通じて伝播し、そこに生活者とアーティストとの“新たな出逢い”が創出されていく。そんな可能性が多分に秘められています。アーティスト単体では埋もれてしまうメッセージが、レーベルという単位では届けられる。そういった価値を考えれば、レーベルを活用するという意味での“所属”に、一定の意味は見いだせるのではないかと思います。





























